ラブライブ!シリーズで感じた違和感
先日ラブライブ!サンシャイン !!The School Idol Movie Over the Rainbowを見てきた。
ラブライブ!(以下LL)やラブライブ!サンシャイン!!(以下LLS)はとても楽しく、でもどこかで違和感を感じながら見てきたが先日それが分かった。
「μ's,Aqoursに非協力的な生徒は?」
分かってる。分かっている。
これはストーリーの本質ではない。
だが感じてしまったんだ。
LLでは穂乃果がたくさんの人を巻き込んで廃校を撤回、そして優勝まで突き進んでいった。
主人公、いやμ's視点で見ると非常に気持ちがいいストーリーだ。
友情、努力、勝利
まるでどこかの少年漫画雑誌のようだ。
ではそれぞれ考えてみよう。
この「友情 」から外れた生徒はどうなった?
μ'sメンバーは矢澤先輩と花陽ちゃんを除くといわゆるスクールカーストの最上位と言えるだろう。
都内一等地の老舗和菓子屋の娘、どう見ても富裕層、スポーツ万能、医者の娘、生徒会長、コミュ力お化け
強い。
これは強い。
スクールカースト上位の意見に逆らうことは難しいだろう。
一体幾人が自分の意見を殺した?
序盤μ'sに協力していたのはモブ代表(失礼)のひふみちゃんたちだけだった。
話が進むにつれて協力してくれる人が増えていき、ついには全員協力した。
確か東京予選会場に行くために「全員が」雪かきに協力してくれた、ようなセリフがあった気がする。
この時参加できなかった、あるいは参加しなかった生徒は?
その生徒の学校生活がどうなったのかあまり想像したくない。
明確ないじめというより、同じ体験をできなかった少数の人に対する微妙な対応の差が露骨に現れるのでは?
これは辛いものがある。私は体験済みだ。
「努力」、これは特に違和感がない。
メンバーみんなで努力してたよね、これはあまり違和感を感じない。
「勝利」、これは時の運も入るのでここでは言及しない。
シナリオのさじ加減一つだけどね。
LLSはそれがさらに加速していると感じた。
自称「普通怪獣ちかちゃん」だけど、君普通じゃない。
やはり老舗旅館の娘さん。
高給取りと考えて不自然ではない船乗りの娘だったり、どう見ても強いとしか考えられない黒澤家、言及するまでもない小原家、やはりフィジカルエリートもいる・・・
本当に普通なのは善子ちゃんぐらいでは?
加えて東京に比べ人が少なく人の移動が少ない田舎である。
家柄がスクールカーストに与える影響はより大きくなると考えて間違いないだろう。
小学校、いやもっと前からのスクールカーストが高校まで引き継がれている。
周囲人間の流動性が低いほど、スクールカースト上位の意見は教室で絶対だ強くなる。
よって μ'sに比べてAquoursのスクールカーストステータスが強くなる強化されるとみて間違いないだろ。
ますます上位者に非協力的な態度をとれなくなる。
廃校になっても気にしない子や、学校に思い入れがない子たちは?
その子たちがまるで存在さえしないように描かれている。
「みんなで」「全員で」という言葉がLLよりもLLSで増加した気がする。
数えたわけじゃないから断言できないけど、そんな印象が強い。
私が学校で、少数派で、協力を装った非協力的な人間だったので、学校の描かれない生徒が気になって仕方がない。
みんなが構成員全員が協力的な組織が怖い。
ましてや有志の団体ではなく、たまたま生まれた地域が同じだった、たまたま学力が似ていただけで構成される学校という団体だ。
色々な考えの人がいるはずだ。
みんな、に入れない人はどうなるんだ。
もしLLSで廃校に瀕していない学校に通うりあちゃんとせいらちゃんが、勝手にラブライブ優勝を狙うストーリーだったら全くこんな違和感を覚えなかったんじゃないかな。
函館の学校は、学校を挙げてラブライブに全面協力というわけではなさそうだし。
いろいろ書いたけどLLもLLSも好き。
好きだからこそ、ずっと感じた違和感をそのままにしておけなかった。