自分のコミュ障を分析する

喋れないわけじゃないけれど、人並みに擬態しているつもりではあるけれど・・・

常人よりコミュニケーションのためのエネルギー容量が小さい人間なので人と会うと非常に疲れる。

来年から新社会人でこれがもっと加速しそうなのでまとめておこう。

 

対:先生

対:バイトの上司

対:バイトのお客

対:店員

などロールが明確なコミュニケーションは大好き

型にはまる、没個性でよいわけだ。

「いい子」なのでこういう時のふるまい方はずっと躾けられてきた。

加えて二度と合わない人とのコミニケーションも得意。

きわどいことを言ってもお互い一晩寝たら忘れる。

北海道を放浪していた時は毎晩のようにライダーハウスに居座り散々しゃべり倒した後、翌朝挨拶もせずに出発する。

こんなコミュニケーションを半月近く繰り返していたが、心地よかった。

 

一方で苦手なコミュニケーションのパターンは2つ。

1つめがロールが曖昧なコミニュケーション。

顔と名前、あるいはいずれかを知っているけど、特に付き合いのない同級生

同い年の後輩、先輩

同僚、同じ研究室のメンバー

こんな人たちとのコミュニケーション

 

加えて関係があいまいに続くであろう環境でのコミュニケーション

バイト先の直接の上司ではないけど、その場所の正社員とか

同期や他部署の人、上司の取引先の人、とか・・・しらんけど

無視するわけにもいかず、かといって特段興味がわかない人たち

 

こんな人たちとのコミュニケーションも難しい

大学入学時にこれが極まった

高等学校までのクラスとは違って話すも話さないも自由

かといってこちらから途絶すれば4年ボッチ確定

仲良くなれそうか、信頼できそうか、会話のノンルールデスマッチを毎日繰り広げ、

多量のコミュニケーションエネルギーを消費しながら生活をしていた。

 

私の性格として、私自身を対話の対象に挙げるのが非常に怖くて苦手だ。

おそらく普通の人達が仲良くなるプロセスでは、お互いの自己開示をきっかけとして距離が縮まっていくのだと思う。

一方私は前述のように自己開示に恐怖心があるのでまずこの時点で距離は縮まらない。

そして開示したとしてもそれは余所行きの自分で、繕ったもので決して本心ではない。

きっとほかの人は、これを見透かすのでどんどん人の輪から外れていくのだろうな・・・

いや、絶望的なボッチなわけじゃないし!!

 

ツイッターなどではつくろわない自分を垂れ流し、フォローしている人も、フォローされる人も選べるのでこういうことで悩まなくて済む。

なので非常に楽だし依存気味になるほどはまっている。

 

ではSNS以外のオフラインで得意なコミュニケーションは何だろうか?

それは「自分を対象としないコミュニケーション」である。

自分じゃないものなら何でもいい。

相手自身のこと、天気でもいいし、業務のこと、あの雲が金魚に似ていること、とか。

ディープなオタクのオタク語りも割と楽しんで聞ける。

臭くなければ。

 

以上を踏まえて自分のコミュ障をハックすると次のような方法がよさそうだ。

お互いに共通する話題で自分が相手に対して信頼できるという判断ができるようになるまで待つ。

その後ようやく自分を対話の俎上に載せる

 

 

お互いに共通の対象について話すうちに、信頼関係が醸成されて、初めてお互いを対象としたコミニケーションをしたい。

相手と自分を傷つけないために。

ある程度信頼できた人と初対面に近い人では、同じ言葉でも受け取り方に差が出る。

初対面に近い人だとどうしても断定口調になりがち。

ある程度信頼できてるとハイコンテクストな会話ができるのでお互い傷つかずに済むはずだ。

 

しかしこうやって自分が臆病にも試し行動で二の足を踏んでいる間に、

他の人たちだけで最高の同期になってるんやろうな・・・

今から憂鬱。同期と最高になりたい。

 

カテゴリを超えた人間関係が辛いという話。そしてそれを理解しない人の話。

相手が変わるとふるまい方が変わる。

そんな当然のことを理解してくれない人が多すぎる。

 

あなたは知人をいくつかのカテゴリに分類することが出来ますか?

 

私は例えば

研究室の友人や同僚

先生や上司

配偶者両親、兄弟を始めとした親族

高校の同級生

中学の同級生

 自分で所属したグループの友人(SNSの友人や趣味のサークル等)

このように知人を様々なカテゴリに分類することができる。

 

知人のカテゴリ分け、という定義を聞いた後で問いたい。

同時に複数のカテゴリの人と会うと居心地が悪くなったことはないか?

 

私は会う人のカテゴリによってふるまい方を変えている。

 

例えば親と友人が一緒にいる状態や、研究室の友人と(社会人なら同僚?)と同じ趣味の友人と同時に会ったら・・・

想像するだけで胃が痛くなる。

カテゴリに合わせたふるまい方の整合性が取れなくなるからだ。

そう、誰も親の前では下ネタは話さないだろう。

それと構造は同じだ。

 

こういうことを明言するとよく「不誠実だ」とか「人によって態度を変えるのか」とか言われるんだよな。

悪いことなのかこれ?

彼女・結婚・セックス

最悪なタイトルだが、最近あまりにこじらせすぎて精神がどうかしそうなのでこれをテーマに明文化しよう。

俺はどうやって生きていくつもりなんだろうと希死念慮レーシングが加速する。

 

私が漠然と抱き続けている3つの願望がある。

1:彼女

2:結婚

3:セックス

男なら誰しもある欲求だと思う。特に不自然な点はない。

しかしこの3つの欲求がそれぞれ同じ理由であるように見えて、全く異なる理由から発生していることに気が付いた。

それぞれの欲求が発生した理由を書いていきたい。

 

1:彼女

・自分が現在得られている社会的価値を証明したい。

・女性と男性では色々考えが異なる。それを知りたい。だがこれは友達でもいいかもしれない。

 

自己本位な考え方ですねぇ・・・

 

2:結婚

・法律で定められたシステムで担保された長期間の承認欲求が欲しい。結婚はおそらく長期にわたるものだろう。「自分は誰かに選ばれた人物である」という法律による証明から得られた安心感で、人は延々と生き続けられるのではないか?独身だから知らんけど

 

うーんこれも自己中心的・・・

 

3:セックス

・したことがないからしてみたい・・・これは食べたことがない物を食べてみたい、行ったことがないところに行ってみたい、これと同じレベル。

 

あっ・・・最低だ俺・・・

 

何が抜けているのか。

相手に対する奉仕(?)の感情と特異性だ。

 

ぜーんぶ自分のために、相手を欲してる。

 

特異性とは?

ある水準以上の人なら誰でもいいと感じるんだよ。

水準とは?

自分と似たような常識と倫理観を持っていること、あと清潔なこと。そして尊敬できる人。

もしかしたらここが自分のポイントになりそう。

 

 

 

 

話は変わるが私が非モテクラスタに所属しているのは当然である。

なぜならモテる努力をしていない。

「みだしなみ」レベルの、人を不快にさせないくらいの清潔感は保てているつもりだが、これしかしていない。

アルバイトだって、多数の人とかかわるのが面倒だから家庭教師をしている。

自分の興味があるものが偏りすぎているので会話のネタは皆無に等しい。

 

そりゃ何も得られないわとしか思えないっすね

 

モテる努力をして、モテなかったら...きっと承認欲求の重荷で圧死する。

 

 

散髪が怖い理由

諸君、私は散髪が苦手だ

散髪した後の爽快感は好きだが、散髪というプロセスが大嫌いだ

 

なぜ嫌いなのか考察してみた

主な理由は3つ

1、顔に刃物が近づくこと

2、音

3、自分の連続性

 

1:顔に刃物が近づくこと

これは得意な人なんていないんじゃないか?

ライセンサーとはいえ、見ず知らずの人間に自分をゆだねるわけだろ?

 

やべーよ

 

まじやべーよ

 

2:音

耳元で音が発生するストレスよ

どうやって皆耐えているんだ?

怖い

マジこわい

 

3:自分の連続性が失われていくこと

これが最大の理由かもしれない

散髪という行為以上に以前の自分と異なる姿になるものはあるだろうか?

皮膚などは細胞分裂によって日々交換されていると聞く

一方で一か月と少しを共にした髪の毛とは一瞬でさよならしていく

散髪とは自分で作る特異点なのだ

 

散髪と異なり髭剃りは好きだ

1、2がないのもあるが、この3の理由がほぼない

さよならするといってもたかだか1mm程度の分量だし

過去の自分との連続性は十分に担保されている

 

散髪は苦手だ

 

油そばとラーメンを経営から考える。

ラーメン屋より油そば屋のほうが経営が楽ではないか?

ふと油そばを食べながら思ったので整理してみよう。

 

ラーメンと油そばの違いは一点だけである。

食材としては麺、チャーシューなどのトッピング、サイドメニューもほぼ同じ。

価格帯はどうだろうか?どちらもだいたい700-900円ほどだろうか。

店舗の構造もほぼ同じだ。

違うのはスープの有無、これだけである。

 

このスープの有無がラーメンと油そばに決定的なコスト差を生み出しているのではないか?

 

ラーメンのスープの仕込みにコストがかかる。

自家製スープをうたった店では、そのほとんどが長時間の煮込み作業を謳っている。

その人件費や、寸胴を温め続ける光熱費はおそらく原価の中でも無視できないだろう。

また材料も様々なものから取っているのでは?

少量多品種の仕入れが、コストを上げることは明確だろう。

またスープの仕込みは技量が必要だと思う。

新人のバイト君にはそう簡単にできる作業とは思えない。

 

その一方で油そばはスープがいらない。

おそらくだが油にスパイスを混ぜるだけのタレだと推測する。

なので長時間の仕込みも必要ない。

またレシピさえあれば誰でも作れそうだ。

 

油そばのラーメンに対するコストの優位性はこれで明らかとなった。

その証拠にラーメンではありえない、油そばの面増量システムがあるのではないか。

150~300gまで同料金なんてラーメンでは見たことがない。

コストに余裕があるから麺増量無料という荒業が可能になると思う。

 

もしやるなら油そば屋一択ですね。

何よりにおいが少ないし、店内が比較的熱くなさそう。

ラブライブ!シリーズで感じた違和感

先日ラブライブ!サンシャイン !!The School Idol Movie Over the Rainbowを見てきた。

ラブライブ!(以下LL)やラブライブ!サンシャイン!!(以下LLS)はとても楽しく、でもどこかで違和感を感じながら見てきたが先日それが分かった。

 

「μ's,Aqoursに非協力的な生徒は?」

 

分かってる。分かっている。

これはストーリーの本質ではない。

だが感じてしまったんだ。

 

LLでは穂乃果がたくさんの人を巻き込んで廃校を撤回、そして優勝まで突き進んでいった。

主人公、いやμ's視点で見ると非常に気持ちがいいストーリーだ。

友情、努力、勝利

まるでどこかの少年漫画雑誌のようだ。

 

ではそれぞれ考えてみよう。

この「友情 」から外れた生徒はどうなった?

 

μ'sメンバーは矢澤先輩と花陽ちゃんを除くといわゆるスクールカーストの最上位と言えるだろう。

都内一等地の老舗和菓子屋の娘、どう見ても富裕層、スポーツ万能、医者の娘、生徒会長、コミュ力お化け

強い。

これは強い。

スクールカースト上位の意見に逆らうことは難しいだろう。

一体幾人が自分の意見を殺した?

 

序盤μ'sに協力していたのはモブ代表(失礼)のひふみちゃんたちだけだった。

話が進むにつれて協力してくれる人が増えていき、ついには全員協力した。

確か東京予選会場に行くために「全員が」雪かきに協力してくれた、ようなセリフがあった気がする。

この時参加できなかった、あるいは参加しなかった生徒は?

 

その生徒の学校生活がどうなったのかあまり想像したくない。

明確ないじめというより、同じ体験をできなかった少数の人に対する微妙な対応の差が露骨に現れるのでは?

これは辛いものがある。私は体験済みだ。

 

「努力」、これは特に違和感がない。

メンバーみんなで努力してたよね、これはあまり違和感を感じない。

 

「勝利」、これは時の運も入るのでここでは言及しない。

シナリオのさじ加減一つだけどね。

 

LLSはそれがさらに加速していると感じた。

自称「普通怪獣ちかちゃん」だけど、君普通じゃない。

やはり老舗旅館の娘さん。

高給取りと考えて不自然ではない船乗りの娘だったり、どう見ても強いとしか考えられない黒澤家、言及するまでもない小原家、やはりフィジカルエリートもいる・・・

本当に普通なのは善子ちゃんぐらいでは?

加えて東京に比べ人が少なく人の移動が少ない田舎である。

家柄がスクールカーストに与える影響はより大きくなると考えて間違いないだろう。

小学校、いやもっと前からのスクールカーストが高校まで引き継がれている。

 

周囲人間の流動性が低いほど、スクールカースト上位の意見は教室で絶対だ強くなる。

よって μ'sに比べてAquoursのスクールカーストステータスが強くなる強化されるとみて間違いないだろ。

 

ますます上位者に非協力的な態度をとれなくなる。

廃校になっても気にしない子や、学校に思い入れがない子たちは?

その子たちがまるで存在さえしないように描かれている。

「みんなで」「全員で」という言葉がLLよりもLLSで増加した気がする。

数えたわけじゃないから断言できないけど、そんな印象が強い。

 

私が学校で、少数派で、協力を装った非協力的な人間だったので、学校の描かれない生徒が気になって仕方がない。

みんなが構成員全員が協力的な組織が怖い。

ましてや有志の団体ではなく、たまたま生まれた地域が同じだった、たまたま学力が似ていただけで構成される学校という団体だ。

色々な考えの人がいるはずだ。

 

みんな、に入れない人はどうなるんだ。

 

もしLLSで廃校に瀕していない学校に通うりあちゃんとせいらちゃんが、勝手にラブライブ優勝を狙うストーリーだったら全くこんな違和感を覚えなかったんじゃないかな。

函館の学校は、学校を挙げてラブライブに全面協力というわけではなさそうだし。

 

いろいろ書いたけどLLもLLSも好き。

好きだからこそ、ずっと感じた違和感をそのままにしておけなかった。

 

 

組織で働くということを就活生が考える

現在私はM1で就活を控えた身です。

色々就活について2つほど思うことがありまして記事を綴ります。

一読してお気に入りしてください。

 

  • 就活しぐさなんてもの必要なんでしょうか?

就活しぐさ、私がさっき3秒で作った造語です

 

就活しぐさ:就活生、就活サイト、一部の採用担当者などにはびこる謎のしぐさやマナーを指す

例えば、御社までのどうやって来たかやらコートの脱ぐタイミングにファッキン敬語がオンパレードな薄っぺらいメール・・・枚挙にいとまがないですよね

 

これ、必要なんでしょうか?

 

必要ならいいんですよ、必要なら

だったら明文化して、こっちに求めてください。

ドレスコード、持ち物はそちらで決めてください。

言葉遣いだって辞典でも渡してくだされば対応しますよ。

 

そんな組織とは私は合わないので、ご遠慮しますが

 

察するのが当然でしょって態度が苦手です。

してほしいことがあるんだったら誤解のないように伝えることが"ビジネス"マナーなのではなくって?

 

就活しぐさは人事担当よりもリクルートサービス会社が煽っているのかな?

もちろん知らないことが多いので参考になる部分はある。

 

しかし学生の不安を煽って自社利益を拡大させようという魂胆が見え隠れする。

"せれーねさんだけにご案内", "シークレットイベント開催", "1月中に内定!早期先行イベント"なんてメールが無限にくる...

あまりいい気分はしないよね...

 

あとアイスブレイクでよく用いられる(と思われる)「どこから来たの?どうやって来たの?」「最近本読んだ?何を読んだ?どう思った?」系質問、これコンプラ的に大丈夫なんだろうか。

出身地差別、思想信条の差別なんかでつっこまれない?

 

  • 組織で働くのにこんなに自分の情報を渡さないといけないの?

組織の強みというのは事業継続性において強みがあると思います。

例えば誰かが休んでも、退社しても、チームでその穴をフォローして、最終的に欠員は新しい人を入れることで埋める。

誰かの代わりを他の誰かが肩代わりできること、これが組織の強みです。

このプロセスにおいて一番重要視されることは”人員の互換性”ではないでしょうか?

恋人や結婚相手が代替可能な人だったらさみしいですよね。

しかしこれはこれは”ビジネス”ですから人の互換性があるはずです。

 

なのにどうして!

ESで、面接で、ここまで個人のことを深く掘り下げて聞くの!?

志が同じ人間とだけ働きたいのならベンチャーで働けばいいじゃない!

 

よく聞きますよね

「面接ではあなたの考え方を見ている」「体験を通じて何を感じたのか、何を考えたのかがしりたい」「あなたがどういう人物なのかが知りたい」「会社と合うのかを見ている」

 

これって全部私の大切な確信です。

そう簡単に見ず知らずの人に明け渡したくない。

 

  • まとめ

めんどくさいコイツ

そんなに言うなら起業すれば?フリーランスすれば?

 

と言われそうだけど、性格的に無理なのでどこかに就職するしかないんですよ。

嗚呼、私にあった企業は何処?